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それにはあまり意味がない

明日の朝、目覚めるための夜の過ごし方。

「ハウルの動く城」 宮崎駿

前回に引き続き、ハウルの動く城について。

 今回の映画は、宮崎アニメとしては画期的なテーマであったと思う。それは「家族」。宣伝コピーであった「ふたりが暮らした。」が的確にテーマを表している。今回の主人公であるソフィーは、今までの定番であった「成長し自立していく少女」という主人公像とは別に、「母」という役割を背負っている。これも宮崎アニメでは画期的で、母というものが彼の作品で描かれていた事はほとんどなかったのではないか。キャラ設定としてもソフィーは父親と死別しており、さらには母親とも折り合いが悪い。中盤のマダムサリバンからの使者として、母が送られるシーンにはハッとさせられる。母がソフィーを陥れようとしたのだ。ソフィーの孤独感と共に、宮崎氏の家族というものへのスタンスが、多少垣間見られるシーンであった。

 もちろんハウルとの恋物語が中心として展開されてはいるが、そこにも「母性」というものが色濃く出ていたように思う。

 ソフィーとハウルの出会いのシーンでは、過不足なくハウルのかっこよさが描かれているし、ソフィーも「少女」として恋心を抱いたのだろうと推測される。しかし、次第にハウルの苦悩が描かれていく内に、ソフィーの感情が単なる恋心とは異なっていったように思われる。ハウルが弱虫である設定なので、ソフィーが精神的な支えになっていく。この段階で、ソフィーの目的はハウルの孤独を解消する事となっている。強大な力を持つ男と、その男の精神的な支えである女。そしてハウルの弟子が家族で言う子供役を担っており、擬似家族が早い段階から形成されている。

 最初にソフィーがハウルへの恋心を打ち明けるシーン(ソフィーの夢の中で、洞窟の中にいる怪物化したハウルへ向かって)では、「好き」ではなくて「愛してる」というセリフが使われている。すでに城の中で母親役をこなしていた彼女だったが、ハウルへの気持ちとしても母性という面が顔を覗かせており、家族的、母性的「愛情」を含んでの「愛してる」というセリフだったのではないだろうか。

 テーマを「家族」として見ると、物語の背景にある戦争の描かれ方にも注目がいく。今までの宮崎作品ならば主人公の少女が、争いに積極的に(あるいは消極的に)絡んでいく役割を担っていたが、今回はむしろその逆である。ソフィーの興味はハウルや城の掃除であったり、食事にある。ハウルが戦地に赴き、その帰りを心配しながら待つのが今回の主人公なのだ。つまり今回の物語で重要なのは、「何故戦争が起こったか」「どうやったら戦争が終わるのか」ではなく、「ハウルが無事に城に戻って来られるかどうか」なのである。これはやはり「母」の視点から見た物語だからなのではないだろうか。魔法で老婆にされたソフィーが、魔力を失った元魔女の老婆を介護しているくだりが印象的である。自分に自信の無かったソフィーが恋をし、守るべきもの、つまり家族を得て、成長していく。

 ハウルのキャラクターにも言及すると、彼は「千と千尋の神隠し」の「カオナシ」を再構築したキャラだったのではないか。宮崎氏の考える「現代の若者像」とも言えるだろう。「ツギハギだらけの巨大な城の中にいる繊細な男」という設定は、城自体が比喩的に若者像を表しているとも考えられる。城自体がハウルの精神世界なのだ。

 これはエヴァンゲリオンにおける碇シンジとキャラ設定が似ている様に思う。エヴァでは「絶対的な巨大ロボットとアイデンティティーが曖昧な思春期の少年」だったのが、ハウルでは城になったという感じ。さらに言うと、エヴァンゲリオンは結局碇君の母親そのものだった訳で(詳しくは他のエヴァサイトなど参照)、それをハウルに直せば、ソフィーが城に来た時点で「城=精神世界」に「母」という記号が注入され、「城=家」になり「家族」という記号に変化したと考えられる。弱虫だったハウルが「家族」という守るべきものを得て、つまり「父」として命がけでそれを死守しようとする様(例え姿が怪物になろうとも)は、これまでの宮崎アニメの主人公達の姿に重なる。ハウルは「成長し自立する男性」であったのだ。

 ラストシーンはハウル、ソフィー、弟子、魔女が家族として「生活」していこうとしている様が描かれている。それに伴い戦争もすぐに終わってハッピーエンド。ハウルとソフィーが愛し合い孤独を解消し、二人の父性・母性が目覚め、家族が成立した時点で今回の物語は収束している訳である。多少唐突に思えるラストだが、家族の成立が軸であるため、戦争であろうが何であろうが小さな事だったのだ。というより、そういった愛情の溢れる家族の集合体によって、戦争の無い社会は作られるし、愛情の前では戦争なんて無意味だよね、というメッセージであるようにも思えた。

 

 結局、血縁よりも絆で繋がった集合体が「家族」なんだよって事かなと。現代家族の理想像みたいなもんでしょうか。宮崎駿氏が家族をテーマにしたって言うこと自体が、ある意味で成長だったとも言えるのかもしれませんね。