それにはあまり意味がない

自由に生きて、強く死ぬ。

恋をしちゃいました!(やっちゃった)

「恋」について語って下さい、という指令が来ました。とっさに、松山千春の「恋」の歌詞とか適当に弄くればいいか、なんて思ったのですが、どう考えても読んで下さる方に伝わらない事に気付きました。今。なので、今回は恋について本気出して考えてみるとともに、そろそろ人生設計について本気だして考えるのが疲れてきたニート@郁ですこんばんは。


◆最近思う『恋』

半径三メートル以内でもっともっとひっついてたいものであり、もっとそっと誰よりそばにいてこのままちょっとだけkissしてほしいものであり、同じもの同じ感じ方してたいものであり、でも同じものを違う感じ方が出来る二人の方が楽しかったり幸せになれるんじゃないっていう割とマジな意見を書くと照れるものであり、抱き合ったらこんがらがっちゃって脳でなんかわかんないもんであり、神様は何も禁止なんかしてないものであり、だってなんか愛してる だんだんなんだか愛してる だからなんでも愛してる。


やっぱり川本真琴は少女である事の天才だと思います。特に「だってなんか~」の件は完璧としか言いようが無い。



◆この『恋』には感動!!!!

乙女はパスタに感動するし、デートの最後に「君が好きです」とメールが来て、結局貴方の事が大嫌い大嫌い大嫌い、でも大好き、であるこのツンデレ具合がたまらない現代社会。私が最近感動した恋は、アイドルのファンサイトだったりブログを書く人達の、アイドルに対する「愛」を感じた時です。最近、モーニング娘。に関するサイトを手当たり次第に読みまくっているのですが、どのサイトもやっぱり愛情に溢れてるんですよ。その愛し方もそれぞれで、ストレートに愛情表現する方もいれば、愛しすぎてそのアイドルの欠点も見えてきてるんだけど、でもそれも笑いに変えたり何だかんだでその欠点すら愛してる方達とか。みなさん素敵で。


印象的だったのは、安倍なつみさんのファンの方のお話(前編http://d.hatena.ne.jp/natsumi-crazy/20050817 後編http://d.hatena.ne.jp/natsumi-crazy/20050821)。もうデビュー当時からずっと応援し続けてきて、モー娘。にいる時も卒業してもソロになってもスキャンダルにあっても、それでも愛し続けて。最近になって、カジュアルディナーショーという80人規模で間近に安倍さんを感じられるイベントに参加されたらしいんですね。イベントが開演し、いよいよ安倍さんの登場。手を伸ばせば触れられる距離にずっとずっと愛してた人がいて、自分の目をみて歌ってくれている。自分の為に歌ってくれてるんじゃないか、っていう妄想(こういう想いを妄想だっていう風に定義したうえで、それでも愛していく姿に感動。)を抱いたり。直接一対一で対面して、握手して写真を撮る段階ではもう想いが溢れて、ほとんど想いを伝えられなかったんだけど、それでも「今までも、これからもずっと、なっちの歌声を信じています」って事だけは伝えられた、とか。そういう愛が溢れる記述の一つ一つを読むたびに、こちらの胸も熱くなってしまいます。こーゆー素敵な人の愛し方が出来る人間でありたいなと強く思うわけですよ。


うん、一言でいうと田中れいなさんが博多弁を喋る度に萌え死んでいるわけであり、普段はヤンキーだなんだ言われてるけど、飯田さんの卒業時に見せた涙的なそーゆーギャップにぞっこんラブという事であり、亀井”エリック亀造”絵里さんも捨てがたいし、要するにやっぱり辻希美さんが大好きです。


◆直感的『恋』

恋と言えば松山千春、しか思いつかなかったダメで情けないけどちょっぴり頑張り屋さんな自分を愛ちてる。


◆こんな『恋』は嫌だ!

こういう質問に鉄拳風に答えるのは嫌だけど、かといってマジメに書くのもねっていう風にごちゃごちゃ書いては消し書いては消ししてる内に早朝になってて、まぁとりあえずコーヒーでも飲もうかななんて思ってる私みたいな人と恋愛する事。


◆この世に『恋』がなかったら‥・

男はいつも待たせるだけでなくなり

女はいつも待ちくたびれなくなり

それでもいいとなぐさめる事も必要なくなり

それでも恋は恋だとむりやり納得する事もしなくてよくなります。


それに松山千春のヒット曲が無くなると言う事は、鈴木宗男議員も国会に復帰できなかったかもしれないと言う事でもあり、それは北海道のイメージがアップするのかダウンするのかどっちに繋がるんだ、っていうかコーヒー飲んだら色々面倒くさくなって、結局松山千春の恋の歌詞を適当に弄くってる私みたいな人が存在しなくなる訳ですから、トータルで考えるとお得。私の家族にとって。


以上。