それにはあまり意味がない

自由に生きて、強く死ぬ。

このドキドキはなぜ止まらない

それは恐らく小籠包。もしくは蒸し餃子だったのでしょうか。既に世の中は七月に突入していたらしく、日中はすでに真夏の様相。私の寝床は蒸しに蒸されておりました。そしてもちろん、私も。そうしてうだうだと熱に犯されていると、段々じめじめとした思いにかられていくのです。おちおち寝てもいられない。何なんだ私の部屋は。独房か。


それはそうとして、携帯電話を新しく致しました。心機一転という事で。長年auユーザーだった私ですが、遂に長年の想いを遂げ、Docomoっ子に転向した次第であります。学生気分に別れを告げ、大人が大人たる所以であり証であるところのドコモの携帯を手にしたのです。ニートなのに。けれども意気込んで変更した割には、お知り合いには特に電話番号もメルアドも連絡していません。前の機種から電話帳を一件一件入力していくのが面倒くさいのです。そもそも友達自体がとても少ないというのに、この体たらく。大人道とはまだまだ遠くなりにけり。そういう風にじめじめとした部屋でちまちまと携帯をいじっている人生は寂しすぎるし、また体からほんのりとキノコが生えてきてしまうような気配を感じたので、楽しみにしていた映画を観にお外へ出かけてきました。その映画とは「カーズ」。ピクサーのアニメですね。


見た感想としては、正直、ピクサーの過去の作品と比べるとベストな作品ではないと思う。でもさすがはピクサー。絶対にツボは外さない、ベターな感じに仕上がっておりました。格段にアニメーションの表現技術が向上していて、映像の美しさだけでも見る価値アリ。キャラクターの全てが車なんだけど、それに感情移入させてしまえる事がピクサーの底力なんだと思う。キャラクター造形の段階で「車」っていう大きな制限を設けた事で、作品を成立させる上での難易度はかなり高かったはず。色や形をいくら変えてもそれは「車」である事に変わりが無い訳だから、どうしても画面上に飽きがきちゃうし、キャラの行動も制限されてしまう。ただ、そこでしっかりと「車が生活している社会」を作り上げる事ができるから、その世界を信じる事ができて、キャラクターに感情移入できるようになるのです。車を擬人化してるんだけど、その擬人化が嘘になってないというか。例えばガソリンを自分で給油するシーンなら、下手なアニメだと車に手が付いてて……とか手が使えるキャラクターが別にいて……っていう風に解決する場面だと思うんですね。そこまでベタじゃないにしろ、うやむやにされてしまうというか。でも、ピクサーはそこでちゃんと「車が車の機能だけで」自分で給油できるシステムを用意するんですよ。細かい事なんだけど、そういう細かい事の積み重ねが、空想の世界を自分の方に引き寄せていく手がかりになると思うんです。「車が生きている世界」がよりリアルになっていくんですね。そういう世界もあるんじゃないかって思えるような。


まぁとにかく、とりあえずネタばれするような感想は書きませんので、お暇な方は是非見に行ってみればいいと思います。個人的には、物語のテーマが私の現在の状況と重なって見えて、ちょっとしんみりと心に残るものがありました。うん。結局、お外に出たのにしんみりして帰ってくるっていう、この意味の無さ。