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それにはあまり意味がない

明日の朝、目覚めるための夜の過ごし方。

の・ようなもの

バトンっていうのはつまり「ごきげんようにおけるサイコロ」のようなものだと思うのです。みなさんも一度はmixiやブログ上でバトンを読んだり書いてみた経験があるのではないでしょうか。誰かからお題が回ってきて、それについて日記を書く例のアレです。


バトンって実は内容はそんなに面白くもない話だったり、質問自体がなかなか聞き辛い事だったりもするんだけど「mixiのバトンだから」「面倒くさいけど、頼まれたらしょうがねぇなぁ」って事で、結構ぶっちゃけトーク的にみんな語っていたりするわけです。そのぶっちゃけ話に果たして価値があるかどうかは置いといて、例えば気になるアイツに恋愛の話を切り出したいけど切り出せない、そんな乙女的な少女が「バトンだから答えてね(ハート)」なんて冗談っぽく、でも興味津々にアイツに恋愛バトンを渡していたりするんでしょう。これってweb特有のコミュニケーション形態ですよね。どんな風に話を切り出せば良いかわからないようなweb上での関係性の中で、「バトンを廻す」っていうのは結構気軽なコミュニケーションだと思うのです。しかも、バトンの内容自体は「どっかの誰かが考えたもの」だとされてるから、多少失礼な事(もしくはなかなか聞けないような事)でも簡単に質問できちゃうし。


これを「新しいコミュニケーション形態」とするか「そういうツールがないとコミュニケーションのキッカケすら掴めない」と取るのかは、まぁ時と関係性と場合によってでしょうけども。


「メールの返信が来ない」「日記にコメントが付かない」


コミュニケーションを取る事のコストが限りなく軽減されていく中で、今度はそのコミュニケーションの内容へのコストも低くしていこうって流れなのかな。私はそれがそこまで悪い事だとも思わないのでどんどん答えていこうと思いますよ。イメージ的には世間話の延長線上くらいのニュアンスを持って。そんなこんなで、あとは私に恋焦がれる女子からのバトンを待つのみなのです。待ってるからね、石川さん(石川さんなら、なんだかんだでバトン的なモノが廻ってきたら律儀にやってくれそうだから。辻さんは多分、いや九割九分廻さない。廻さないっていうか、答えてる途中で飽きると思う。性格上。よって石川さんからのバトンを待つという可能性に賭けるのである。)