それにはあまり意味がない

明日の朝、目覚めるための夜の過ごし方。

何を持って真剣勝負とするか、それはきっと価値観の問題で。

昨日の亀田興毅選手のトピックを娘。話と絡めて纏めてみました。「リボンの騎士 ザ・ミュージカル」の感想は昨日の日記に詳しく書きましたので、興味ある方はそちらもお読みいただけたらうれしいです。以下本題。


亀田選手のニュース、現時点でmixiでは約3000件の日記が書かれています(恐らく実数はこれ以上)。これから起こるであろう世論(特にネット界隈)を考えるに付け、亀田君が可哀想に思えてきます。19歳の男の子が、生まれてきてからずっとボクシング漬けの生活をしてきて(させられてきて)、父親のためにも日々努力に努力を重ねてきた、その人生の結果が出る日が、まさにこの日だったわけです。 今までの試合もそうなのですが、亀田選手自体は全力で戦ってきたと思うんですね。私たちは試合の瞬間しか彼の人生を垣間見る機会を与えられませんが、彼だって一人の人間ですから、一年365日の「生活」があるわけです。彼の場合、その人生のほとんどをボクシングに捧げてきました。そこには一定の真実があるように思います。自分でマッチメイク出来るわけでも、父親に逆らいたいわけでもない、ましてボクシングのプロ選手である彼にとっては、相手がどんな選手かなんて関係なく「戦って勝つ」のみ。それが彼の人生において唯一の価値観であり、またプロの選手としての「仕事」なんです。


その人生の集大成であり目標であったとも言って良い今回の試合。正直、私自身「逆贔屓目」で見ていた事は否定できません。しかし冷静に考えれば、初回のダウンと終盤3ラウンド以外はもつれた試合でした。マストシステムとホームタウンディシジョンを考慮すると、むしろ判定に持ち込んだ場合は接戦になってもおかしくはないんです(これはむしろ現在のアマチュア化しているボクシング界自体の問題も絡んでくるでしょう)。それにしても、です。これを勝利とするには苦しい試合内容だったと言わざるを得ません。しかし試合後の彼の涙は、紛れもなく19歳の青年が流した、嘘偽りのない感情だったとも思うのです。だからこそ、周囲の人間の責任は重いものだと感じます。ボクシングは確かに興行です。でもその前にスポーツなんですよ。スポーツの商業化という問題はどのスポーツにおいても蔓延している課題ですが、私はそれ自体にはそれほどの問題もないと考えます。日本ではアマチュアイズムがもてはやされますが(高校野球が顕著な例)、選手がそのスポーツだけで生活していける環境を生みだす事は競技力の向上や発展に繋がっていきますし、文化的にも意義ある事です。人が生活を賭けて競技に打ち込む様、その中に選手の生き様やプライドのぶつかり合いが透けて見えてくる事に人々はドラマを見出し、感動し、スポーツを楽しむ訳じゃないですか。格闘技というのは、特に人生の、人間同士のぶつかり合いという側面が強いですから、感動も感情移入もそれだけ強くなってきますし。


フィクションのドラマにはフィクションなりの、スポーツの生み出すドラマにはそれなりの楽しみ方、消費の仕方があるんです。それはどちらが優れているかと言う問題ではなく、全く別物であって。彼の人生における集大成が、彼が手にした成果が、世の中に賞賛されない事。受け入れられない事。それはひょっとしたら彼という人間そのものを否定する行為に等しいのかもしれません。もちろん、真面目にやっているボクシング関係者からすれば由々しい事態でしょう。ボクシングの世界においては、実力がありながらも世界タイトル戦に辿り着けないボクサーがごまんといるからです。腹立たしい気持ちを抱くのも当たり前です。でもね、彼だって子供の頃から世界チャンピオンを目指してきた、そんなボクシングに賭ける一青年である事にかわり無いんです。だから私は、今回のこの結果を肯定も否定もできません。こういう結果をもたらした何か、(曖昧な定義をすれば)世の中とはこういうものなんだという縮図を見せ付けられた事への絶望、という気持ちが強いです。


ただ一つ確かな事は、彼は今回その人生を賭けた真剣勝負に挑み、結果を勝ち取って、至上の喜びを感じているであろう事。そしてその事実こそが、真に悲劇であるという事。


ちょっと視点を変えて。


最近モーニング娘。関連の事を書き連ねていますが、私がどういう視点で娘。を楽しんでいるのか説明してなかったですよね。本能的部分以外の、論理的楽しみ方というものを今回の件に絡めて書いてみたいと思います。楽しみを共有したいぜ、という思いをこめながら。


アイドルという存在はこの恋愛至上主義社会において、最も単純で根源的な「容姿」で社会と勝負しています。娘。はまず歌手というカデゴリーではありますが、アイドルである以上はこの命題からは逃れられません。容姿だけで判断され消費され、人気が出なければ即忘れ去られていくと言うアイドル業界というのは、残酷かつこの世の中を象徴する縮図のようなものだと思っています。しかし、そのアイドル業界の中でも娘。というのは異質な存在で。「容姿」で勝負するという大前提の中で、時にそのアイドルという枠を超えた何かを表現する事があるのです。例えば彼女達は、コンサートで全国を廻りながらCDを出してプロモーション活動をしつつテレビに出演して写真集の撮影にロケ地を飛び回りフットサルの練習と大会をこなしながらもファン限定のイベントを開催してその合間をぬってミュージカルの稽古を消化します。この殺人的スケジュールの中、彼女達は全てにおいて真剣勝負を挑んでいます。またそうでなければこの十年、アイドル業界の中でトップを走り続ける事は出来なかったでしょう。そしてその真剣勝負を挑む過程の中だからこそ、容姿以外の価値観が生まれ育ち、多方面で評価され得る存在となってきたのだと思います。


現在行われている「リボンの騎士 ザ・ミュージカル」を具体例に挙げてみます。公演時間は三時間の長丁場で、一ヶ月間のロングラン公演。しかも昼夜公演がある際は、公演と公演との間に一時間しか空きがないのです。演劇をやっていた諸関係者ならこのあり得なさがわかっていただけると思います。しかし、彼女達は「プロ」として逃げずに本気で立ち向かっていきます。だからこそ、劇中歌や演技がアイドルの枠を超えた素晴らしいものに仕上がったんだと思います。実際に見に行って体感してきたので、これは僕の中では真実ですよ。そして本気で頑張っているからこそ、各方面の才能を動かし、よりよいものが出来上がっていくと。公演プログラムの中に、今回脚本・演出を担当した木村さんのお言葉があります。彼は宝塚などでも活躍するプロなんですが、このメッセージは本当に名文だと思うので、引用します。


「アイドル」という前提から、逃げずに立ち向かう事。逃げ方はわかっていました。アイドルの周りを芸達者な年長者たちで囲むのです。

中略

しかしそれでは、アイドルはなんのため生きているか分かりません。アイドルとはなにか。人間です。成長します。助けられてばかりいたら、いつかきっと腐ってしまいます。ハロー! プロジェクトは違う。必ず自分の足で立ち、おのおの歩いていけるはずです。そのためには脚本も演出も、真剣勝負でのぞむべきだと考えました。

中略

よほどの例外を除き、生涯アイドルを続けるわけにはゆきません。いつかその境遇から巣立ち、次の人生を歩んでゆく。そのとき確かな手本となる存在(マルシアさんと箙さんの事です)を、この公演にも設けたかったのです。


プロとして仕事をする事。社会人なら、誰しもが日々経験している事。亀田選手にしろ、娘。にしろ、私たちにしろ、毎日が真剣勝負。だからこそ、私たちはその中でも特別な存在であるスポーツ選手やアイドル達に感情移入するのです。


「助けられてばかりいたら、いつかきっと腐ってしまいます。」


という、木村氏の言葉。亀田選手の周囲の人間には、深く考えていただきたい言葉だと思います。