それにはあまり意味がない

自由に生きて、強く死ぬ。

私は、ガキさんになりたい。


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私はがきさんになりたい、そうだ、がきさんがいい。努力は才能を超えるのか、努力できるという事それ自体が才能なのか、はたまた努力したから才能が花開いたのかはわからないけれど、ガキさんが今この瞬間にも輝きを放ち続けている事だけは、紛れもない真実で。新垣さんが五期として加入してきて、当時モーニング娘。なんてものにそれほど興味を持っていなかった僕は、「何でまた、この子なんだろう」と、首を捻っていたものでした。見る目がないねぇ。それにしたって、それにしたって彼女はずっと努力し続けてきたように思うんだ。報われない努力ほどキツイものはないんだけれど、彼女はそれを事も無げに自分に課し続けてきた。だって僕らだって、僕らみたいな平凡な一般人だってそれなりに努力はするもんだけど、すぐに諦めてしまうもんじゃないですか、それかせいぜい、そこそこのレベルで満足していってしまう。だから「結局は才能がなきゃ」なんて言い訳ばかりが口をついてまわる。でも、それでも彼女は。芸能界の、しかもアイドル業界なんていう僕らなんかが想像もできないくらい理不尽な事がまかり通る世界で、彼女はただ「誠実」だったんだろうと思う。歌にダンスに、ライブで娘。をそして客を引っ張っていたのは間違いなく藤本さんに吉澤さん、そして新垣さんだった(高橋さんと田中さんは引っ張るというよりも「惹きつけて」いる感覚)。ツアーや舞台の度に彼女のスキルが上がっていくのが実感できるし、それは本当にとんでもない事で。彼女についてよく言われているのが、先輩へのリスペクトが強い事なんだけれど、真の意味で側にいて「勉強」して芸を盗んでいたんだろうなと感心させられる事が多い。例えば笑顔の作り方なんてまんま「なっち」だったりする時があるし、みんな彼女のリアクションを褒めるけれども、あれは間違いなく矢口さんの「それ」だろう。岡女。の期末テスト企画におけるガキさんのリアクションは、恐らく彼女が本来持っている性質、つまり持って生まれた「才能」が発揮された好例だった様に思うし、それは「黄金期」とも評されたあの頃の娘。の中でも光り輝いて見えていた。ただあのままの彼女だったらば、安倍さんやツジカゴには多分追いつけなかったろうとも思うし、今の彼女もなかった。矢口さんのリアクションをワンパターンだという人は多いけれど、その分確実性がある事を見逃してはならない。「計算のできる」キャラとして、岡女。という2時間のコントを引っ張っていたのは間違いなく彼女だったからだ。そこにはある種の美学があった。主役にならない(なれない)からこそ、かえって光り輝いて見えてくる、そんなモーニング娘。の精神みたいなものが。そういう精神を、ガキさんは受け継いできているんだと思う。嘘だと思うなら、ハロモニ@を見て欲しい。常に表情を作り、常に感想を口に出してコメントし、常にリアクションを散り続けている、そんな彼女の姿が垣間見えるはずだ。矢口さんがああいう事になって、先輩も次第に少なくなっていって、ある意味プレッシャーがなくなったいい意味で自由が利く環境が作られてきた頃から、彼女は今まで蓄積してきた「芸」を披露できるようになってきた。ライブや舞台のように流れがある程度決められている場面での彼女は、もう文句なしにカッコイイ。テレビやラジオでも、愚直に前へ出ていく。リアクションをとる。アドリブはそんなに得意ではないんだろうけれど、それでも頑張る。ややもすると、話を膨らませきれなかったりつっこめてなかったりもするんだけど、それでも絡んでいく。ガキカメというラジオ番組を一度聞いてみて欲しい。あれほど流暢かつ適度なテンションで進行役を勤められるハロメンは年長組を含めてもそうはいないよ。今更なのかもしれないけど、「タンポポ」というユニットを背負うに相応しいメンバーになったように思います。今の輝き方はタンポポのそれとちゃうんかと。逆ハロマゲドンでプッチもたんぽぽも復活させてもうたらええんやで。いい意味で、なんでもありにしてもうたらええんやで。


だから、私はがきさんになりたい。そうだがきさんがいい。がきさんだったら娘。と共に笑っていけるはずだからなんの心配もありません。フライデーに撮られる事もない。アイドルとの距離感や擬似恋愛の事を心配することもない。どうしても生まれ変わらなければならないなら、私はがきさんになりたい……


ここまで書いといてなんですけど、僕が今20代前半なんですけど、果たしてこれ、元ネタちゃんとわかるんだろうかとふと不安になってきました。一応、今度映画化されるって事でね、時事ネタですよ、そっちの意味で。