それにはあまり意味がない

自由に生きて、強く死ぬ。

劇団ゲキハロ第2回公演 「寝る子はキュート」 6/17 昼


行ってきたよ池袋見てきたよ℃-ute始まったよ寝る子はキュート。当日は同じビルで同人誌の即売会も行われていたらしく、何だかヲタの見本市の様なちょっとした地獄絵図が繰り広げられておりました。私はといえばそんな地獄に伸びた一本の糸こと、℃-ute様を目指して一路サンシャイン劇場へ。ハロプロのミュージカルといえば昨年の「リボンの騎士」がやっぱり僕の中で大きくて、あれで完全にハロプロにはまっちゃったっていうのもあってかなりハードルが上がった中での鑑賞でした。あ、めっちゃネタバレしていくからね。よゐこはここで寝ててね(若干の時事ネタ)。寝る子はキュート


あのね、結果的にはね、若干涙ぐんじゃったよね。「私がおばさんになっても」で。あれやっぱいい歌だわ。僕は学生時代に演劇をずっとやっていたんですけど、そこで一応脚本やら演出を担当していて。そういう目線でいくと「悲しいシーンに場違いな明るい曲」をかけるっていうのは定番ではあるんだけど、それでもあの選曲は「上手い」なぁって感じ。矢島さんの佇まいと歌唱も相まって印象的なシーンになっていたと思います。演者の中では岡井さんが一番光ってたかな。ボケも意図通りに伝わってたし、何よりもちゃんと舞台の中で「生きて」たので。セリフのないところで棒立ちになってしまってると、どうしても舞台から浮いてしまうんですよね。全体的にそこはまだまだ経験不足が否めないところだったかと。有原さん鈴木さんコンビはかなりいい「間」を持ってたし、声の質感も合っててうまくツボに入ってくる感覚。独特な空気感も出てて、一番演劇っぽく馴染めてたかも。矢島さんは立ち姿が秀逸。あの歳であんなに浴衣が似合っちゃダメ(欽)。あの似合い方はどっちかっていうと黒木瞳的な似合い方だから。熟女か。萩原さんはそういうの全部通り越して、もうアニメーションの域。存在自体が、そこにいる事自体におもしろみがあるので。そういう意味ではもうタモリと一緒ね、タモリクラスだよね。マイマイタモリ


物語としては「長さん」っていうおじさんと、長さんの初恋の相手である中学生の「幽霊」との悲恋が中心に描かれていて、これはもうベタに「アイドルに恋する大人」のお話として読み替えてみていいんじゃないでしょうか。「幽霊」と「幽霊に瓜二つの少女」の二役を舞美さんが演じていて、前半は「長さん」が「少女」にオドオドと対応するシーンがギャグとして描写されていく。ツッコミとしては「ロリコンかよwww」的な視点からのもの。それが物語終盤、実は「少女」が長さんの初恋の人と瓜二つだった事が明らかになり、衣装が変わって「幽霊」として舞美さんが登場すると、そこまでの視点が一気に反転していく。「ロリコン」ではなく「純愛」に昇華していくのだ。そこにいるのは同じ「矢島舞美」なんだけど(わざと舞台だっていう事を無視して)、「愛情の対象」としての意味がまるっきり変わってくる。長さんは一貫して「矢島舞美」を「初恋の人」として見ているんだけど、前半は受け手(観客)がそれを知らないから、ロリコンとして、「性の対象としてみてるんでしょ?」的な読み取り方をしてしまう。前半は舞美さん以外でもそういうボケが結構あって、観客の苦笑い気味のリアクションが妙にリアルだったのはそういう面もあったんじゃない? で、わざわざ一回舞美さんを殺して、「幽霊なんです」「違う人物なんですよ」っていうエクスキューズをつけてもう一回「矢島舞美」が出てくると、今度は長さんのそれが「純愛」なんだという事になって、受け手は安心して泣く事ができまっせと。こんなとこにも純愛ブームの魔の手が。これって「アイドルとファン」の関係性もそうだし、「アイドルとファン」の関係性を傍観している「他人」とのそれもよく表れている気がします。アイドルは幽霊である、っていうのはそんなに受け入れがたいテーゼではないと思うんですよ。手が届かない、だからこそ自分の思い入れを込めやすい存在。そういう思いが具現化したものとしてのアイドル。そんな舞美さんが「私がおばさんになっても」を歌い踊るっていうのはもう、そのまんま観客に対しての問いかけですよね。「とても心配だわ あなたは 若い子が好きだから」って相当シニカルよね。笑っちゃったもん。ちなみに劇中ではその模範解答も提案されています。あなたと一緒に歳をとりたい、と。あなたにおばさんになってほしい、と。



「私がおばさんになっても、ちゃんと愛してくれますか?」



特に強調しておきたいのは、長さんが「自分のせいで」初恋の人が死んでしまったと後悔している設定。これは「アイドルとファン」という側面から読み取った時にかなり秀逸だったように思います。長さんの初恋の人(舞美さん)が死んだ理由っていうのが「スズメバチに刺されて」死んじゃったっていうかなり間抜けな、「くだらない」ものなんですね。その時に舞美さんは「黒い浴衣」を着ていて、それさえ脱げば黒いものにスズメバチは集まっていくから助かったんじゃないかと、長さんは後悔していたわけです。長さんは幽霊になった舞美さんに言います。「何で浴衣を脱がなかったの」 舞美さんは一言「恥ずかしかったから」。そこで長さんは「僕が目を瞑っておけばよかったんだぁぁぁぁ」と泣き叫ぶんですが、はっきりいってこのやりとり、ちょっと不自然ですよね。もっというと、別に舞美さんが死ぬ理由を「スズメバチに刺されたから」っていうものにする必要なんてなかったはず。難病だったり交通事故だったり、いくらでもドラマチックな理由はあるじゃないですか。それをわざわざ、何故。


「黒い浴衣」っていうのは、いわゆる「アイドルの掟」ってやつなんだと思います。藤本さんですら負けてしまったアレです。「スズメバチ」っていうのはパパラッチですよくそったれのストーカーですよ。これは℃-uteの舞台だからあえて書くけれども、この作品は村上さんの事を描いたものだとしか思えなかった。「だとしか」は嘘だけど。彼氏と一緒に歩いていたり岩盤浴にいったり、そんな写真を撮られただけでアイドルは死んでしまいます。それはもう「くだらない」としか言いようのない理由で。だからいっつも僕らは思うじゃないですか、「そんなアイドルの掟なんて捨ててしまえばいいじゃないか」と。でも、例えばアイドルである事を脱ぎ捨てて、恋愛の話だったりそれこそプライベートを切り売りしながら芸能生活を続けていく事が果たして本当に彼女らの幸せになるかっていったら、それはまた別の話でしょ。だって村上さんなんてまだ中学生だったわけだから。意外と「アイドルの掟」に守られていた方が幸せだったのかもしれないじゃない。そういう幻想というか、ベールみたいなものに包まれていた方が安心して歌って踊っていられるでしょ。それを脱ぐ事は「恥ずかしくて」それをするくらいだったら「死」を選ぶと、そういう心持ちだってあっていいはずで。それを見た時に僕らは、そういう死を目の当たりにして僕らは「目を瞑っておけばよかった」と、あんなくだらない情報なんて必要なかったと、いっつも嘆いてばかりなんだ。


それでも℃-uteは今を「生きて」いるから、「笑っていたけど、笑っていないと泣いてしまいそうな変な気持ち」で星になっていく村上さんにさよならを言って、それからあの「7人」で℃-uteを結成するんですよ。あの7人で!!!! 「組む?」なんて軽いノリでさ。秋が終れば冬が来る。本当に時が経つのは早いもので。楽しかったあの夏は終ってしまったけれど、冬が終ればまたあの季節がやってくるから。そうすればまた逢える日もいつかくるんでしょう。全力で彼女にさようならを言って、腕が千切れそうになるくらいに腕を振って泣き叫んだら、家に帰って眠るんです。寝る子はキュート。キュートは元気。寝る子は℃-uteなんです。そして目覚めた時には、また楽しい季節の始まりです。


℃-uteの第二弾シングル!!「めぐる恋の季節」 7/11 on sale。CM落ち。