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それにはあまり意味がない

明日の朝、目覚めるための夜の過ごし方。

米の話

日々

米料理は温かけりゃ大抵旨い、ということに最近気づいた。ちょっと凝った程度のラーメン屋のラーメンが旨かったためしがなく、かといって牛丼・マックばかりじゃ飽きてもくるわけで、もっぱら最近は「小汚い中華料理屋」に足繁く通っている。なかでも、ハズレがないのは圧倒的にチャーハンだ。よくよく考えればただ白飯と卵とチャーシューとねぎを炒めただけなんだから、高級店だろうが床が油でつるつるのとこだろうが味に差がつきにくい料理であるはず。もちろん、具材の質なりは違ってくるんだろうけど、それはあくまで素材の旨さなんであって料理人の腕ではない。ただ、色々店を回るうちに同じチャーハンでも味の「差」ではなく「種類」がたくさんあるということが判明してきた。サラサラ型シットリ型にあっさりこってり、醤油(?)ベース塩コショウベース、卵多め・肉多め等、地味にパターンが多い。そもそも小汚い中華屋の調理方法は豪快で、みていて飽きないのだ。ご飯と具材を一気にいれて火力に任せてがんがん鍋を振る。少々ご飯がこぼれても全く気にする様子もない。たまに「少々」レベルで済んでない時もあるような気はするが、それはご愛嬌。味付けなんてどう考えても雰囲気でおたまにすくってる感じの店もある。そりゃ、色んな味のパターンできるわなと思うんだけれど、不思議と「不味く」はない。改めて米の偉大さを知るのである。あと手間かかってないから安いしね。そんでもってちょっと贅沢したい気分のときは、思い切ってチャーハンにプラスして餃子を頼んでしまうのだ。それだけで幸せを感じてしまう僕の生活レベルというか味覚レベルも微妙だけれども、このセットが絶妙なハーモニー的なものを奏でていてかつ旨いんだからしょうがない。とにかく餃子も同じく、噛んだときに零れ落ちる肉汁が熱けりゃ旨いんだなこれが。それでもって肉汁と醤油だのラー油だのが混ざり落ちた汁でチャーハンに味付けして、残りをかっこむというまさにオシャレの正反対をいく食生活を実践している次第なのでございます。そりゃ太るわ。先日もそのパターンで、夜中の仕事帰りにふらふらと歩いていってたまたまやっていた中華屋に入り、いつものようにチャーハンを注文。耳につけたipodを外して出された水に手を付けた時、店内に後藤さんの愛のバカやろうが流れ始めました。僕は口につけたコップをテーブルに置き、大きく息をついて、チャーハンを待ちました。コップの水がなくなり、店員さんがお替りを注いでくれた頃には、もう店内には次の曲が流れていました。名も知らない曲でした。そしてそのチャーハンもやはり、旨かったのです。