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それにはあまり意味がない

明日の朝、目覚めるための夜の過ごし方。

僕は矢島舞美に恋をする、


C/C(シンデレラ/コンプレックス) High-King

http://www.dohhhup.com/movie/FXPu7gazkrI5XDdBVVnmfLq9bx15kJvK/view.php


ふと気づけば、この動画を見続けている私がいるのです。例えば耳に残るメロディラインであるとかライブハウスで体を揺らしたくなるリズムだったり、踊り子たちの競演だったり、つんく先生の気合の入ったオモシロフェイクだったり、それこそ見れば見るほど均整のとれた(ハロプロ的な意味で)メンバー構成であったり、褒めるところはそこかしこ。なによりも、僕は清水さんをナメてた。なんだあのしなやかさは。やっぱりハロプロはアイドル集団だから、良くも悪くもパフォーマンスに個性がでてきちゃうじゃないですか。田中さんはやっぱり「私を見ろ!!」っていう強烈な自意識の発露が見て取れるし、高橋さんの「忠実な役者魂」であったり、この二人はモーニング娘。の延長線上、もしくは応用編としてこのHigh-Kingがあるように感じたんです。田中さんは全てのカットで自分が一番「良く」映るであろう表情であったり仕草を選択しているし、一方の高橋さんはといえば、曲の世界観であったりディレクターの意図に自己を没入させて高橋愛を演じている。それに対して清水さんは、「Berryz工房の」清水佐紀としてではなく、あくまで「High-Kingの」清水佐紀として、自然体の姿がそこに在りました。彼女がいなかったら、ユニットとしての統一感やコンセプトは出なかっただろうなと思わせられた仕事ぶり。巧みです。


そして前田憂佳さん。彼女がいるから、High-Kingが「ハロプロの」ユニットになるんですよね。この「声」の使い方は、つんく師匠印の作品には欠かせない必需品。前田さんは照れ隠しでありメタであり、この「ズレ」こそがハロプロなんだろうと思う。いい意味でもわるい意味でも、歪みがあるから愛おしい。アイドルはやっぱり愛されなければいけない性質を持っているような気がするし、愛されるためには必ずしも「完璧」であることはプラスに働かないときもある。そしてそういった不完全さは決して否定されるべきものではなく、その感覚こそがPOPだし、つんく師匠曰く「Rock」ってやつなんじゃなかろうか。


矢島さん。もともと矢島さんはめちゃめちゃ魅力的だし、正直、これは好きになっちゃうなぁと、密かに想いを募らせてはいたんですけど。その矢先のこのPVですよ。どうしても℃-uteの時は周りに合わせてリミッターをかけざる得ない場面があるんだろうけど(決して手を抜いているという意味ではなく)、ここではそのタガが外れて、正確には外れかけてきていて、かなり動きにダイナミックな感覚があったように思います。1:44~のムーヴは何度見直しても絶品、むしろ何度でも見直したくなるくらい絶品。


そして、ラストのバックショット。もはや言葉はいらない。理屈じゃないし、理屈をねじ伏せる神々しさと、そこに人間としての力強さがある。


でもでもでも。だからといって矢島さんにこのまま恋をしてしまうのかといえばそんなこたぁないわけです。自分でも不思議なんですが、ハロプロは大好きだし各ユニットも好きだし、それこそ石川さんなんてめちゃくちゃ尊敬してるし、ちゃんちゃかチャーミーを狂ったように聴き続けてた時期もあるんだけど、でも今まで誰かに恋をしてた感覚は自分の中ではなかったんですよね。たぶん、気恥ずかしさもあっただろうし、没入していくことへの恐怖感だったりバランス感覚みたいなものもあったんだろう。


何より、恋って「終る」でしょ「褪める」でしょ。それもすげぇくだらない、些細な事がキッカケで。そんなことで彼女達との関係性が切れるのは「厭だ」と、多分、皮膚感覚で感じてたのかなと、そんな防衛本能なんだろうと、最近になって気づきました。適度な距離感や適切な関係性を持ちたいと、ことある毎に想います。あまりにも悲しいことが多すぎてね。だから、たぶん、「矢島舞美に恋をする。」とは一生言い切らないだろうし、きっと恋はしないんだろうと思います。こんなことを書いてる自分をきもいなぁと、現在進行形で感じているし、それは嘘じゃないし、それでいいんだろうとも思ってます。でも、恋をしている人たちを見ていると、やっぱり心のどこかで羨ましいなとも思っています。だからこそ、その想いを踏みにじるような出来事が起こると、もどかしいし、やりきれない。それでも僕らは、シンデレラの魔法を信じ続けるのだろうか。いつ解けるとも知れない魔法を、ただひたすら。地獄の業火に焼かれながら、それでも天国に憧れる。ぽえむぽえまーぽえますと。