それにはあまり意味がない

自由に生きて、強く死ぬ。

言葉が無力なんじゃなくて「お前の」ことばだから説得力がないんだよ、それ。

 

生武道館なんて夢のまた夢子ちゃんだった私としては。ちゃんとDVD予約してフラゲしてPCの前で正座して、万全の体勢を整えて観賞した私としては。もうとにかく、DVDの感想を書きたくて書きたくて仕方がないのだけれど。けれど、なかなか咀嚼できないのです、言語化できないのです。ゴールデンウィークかけて感想書こうとしたのだけれど、それでも書けなかったのさ。コンピューターシティからエレクトロ・ワールドまでの、あの、高揚感と多幸感は何だ。何度見てもコンピューターシティのイントロで鳥肌が立ってしまうし、何度見てもエレクトロ・ワールドでの開放感は圧倒的だ。GAMEからシークレットシークレットを画面でしか感じることのできない無力感ったらないじゃない。今すぐにでも武道館に行って踊り倒したくなるじゃない狂おしいじゃない。この流れだけでも、もう幾度となく見惚れてしまっているのですから、そりゃ感想なんて書けねぇんです。だって、MCにせよ三人の表情にせよ、それ見てるだけでもうここまでの歴史やら物語やら、全てを語りたくなるじゃないそれはたとえ僕みたいなただの俄かファンであってもさ。DreamFighterなんてもういくらでも文章書けちゃうよきっとたぶんさ。


でもちげぇんだよ、俺が書きたいのはそーゆーんじゃねぇの。俺が書きたいのは、のっちがかわいい、ただその一言だけなんだよ。でも、どうしてもその一言だけが書けないんだ辿りつかねぇんだ。なんでだよって、のっちすっげぇぇかわいいじゃんって。どんなに言葉を重ねても重ねても、それ以上の真実にどうしても辿り着けないんだよ。だってさ、どーーーー見たってもうきらっきらに輝いてるじゃん。どんな雑誌を見てもどんなブログを読んでも、その一言に辿りつかねぇんだよ。何でみんな書かないんだそれだけを書き連ねないんだ。


俺は、のっちのあのきゅっとあがった頬について書きたい。俺は、かしゆかのライブ終盤へ進めば進むほど、どんどん魅力的になっていくあの奇跡性について書きたい。俺は、あーちゃんが「女」なんだってことについて書きたい、どーやったってあーちゃんは女の子じゃなくて「女」なんだ、女って言うのはもう誰より何より人間なんだ、もうどうしようもなく人間やってる女がアイドルやってるそのどうしようもなさを愛してることを書きたい。


ライブはセックスだなんて使い古された表現だけれども、そのたとえをやっぱり使わせてもらうならば、彼女達のライブは序盤からもうずーーーーーーーーーっと、観客はおあずけ食らってる状態で。彼女達の表情や動作から物語をなぞって、受動的に楽しんでいる。彼女達のリアルに触れられるのは、最後の最後の最期、Perfumeの「Perfume」のとき。人間性を隠そうとすればするほど、そこに人間そのものが溢れ出てくるのです。Perfumeの構造っていうのはもう、アイドルのそれと全く同じなんだよね。アイドルを演じているからこそ、その隙間から「生」が這い出てくるんです。今ってもう芸能人もアイドルもそれこそ一般人も、全部全部曝け出そうと必死じゃない。本当の自分とか、そういうの大好きじゃない。けどさ、「見せよう見せよう」とすると、返って見えなくなるものばかりでしょそんなもんでしょ。


Perfumeは隠すんだ、無機質というベールで圧倒的な生を覆い隠すんだ。でもだからこそ、彼女達に人間を感じる。生きてるんだって感じる。アイドルにリアルを感じる。それが彼女達の根底にあるアイドルへの、社会への批評性なんじゃねぇの。あーでも違うんだよちげぇんだ。俺は、のっちがかわいいんだって、やっぱりどうしてもそれだけを書きたいんだよ。それはだってどうしたって恋なんだと思う。こんなオナニーじゃなくてさ、恋がしたいんです。