読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

それにはあまり意味がない

明日の朝、目覚めるための夜の過ごし方。

HKT48のおでかけ! #162 春に大忙しのお花屋さんでお仕事体験 前編

朝長美桜先生の「脱ぎまくり(さっしー談)」な写真集を見る指原さんと後藤さん。グループ交際的で健康的な水着から、徐々に2人きりになっていくドキドキ感が良いと的確なレビュー。SKE・谷真理佳先生のグラビアの話題を差し込む2人の愛情が素敵すぎて。

 

さて、今はいよいよ兒玉遥先輩がおでかけセンターを務める「豪華な」おでかけ。松岡はなさんにファーストコメントを求た瞬間に坂口理子さんが「ついにこの番組もはなちゃんに寄せてきた。はなちゃん中心だから花屋さんへ行くんだ」と毒づき、そこにすかさず村重杏奈さんも「もういやだよ。やってらんねぇよ」とかぶせてくる最高な立ち上がり。やってらんねぇ発言の直後、りこぴがさらに「じゃあ(帰っていいよ)」とボケて村重さんが「それはヒドイよ!」と突っ込んで、結果的にベテラン2人が画面を独占するという老獪なテクニックを見せつけられただただ驚愕。この流れには後藤兄さんも満足げ。

店内作業チーム

笑い方が特徴的な店長さん指導の下、花のディスプレイ周りの作業を行うメンバー達。どんな職場でも似合う坂口さんだけれど、店長さんの笑い方を一番最初にイジッたのはやっぱりりこぴ。さらに、ディスプレイ内の花の並べ方に関してダメ出しされた時にも、場の雰囲気が暗くならないように真っ先に明るく振舞いながら作業再開したのも、やっぱりりこぴ。彼女の気遣いと頭のキレと華やかさは、やっぱり鮮やかで際立って見えます。そんな坂口さんと共に作業をしていた栗原紗英さんも、チームT2では坂口さんポジにいかなきゃダメだしいけるはずの人材。頑張ってほしい。

配達チーム

社長に花の包装と配達を習うメンバー達。村重さん仕切りで村川緋杏さんが噛みついていく構図。うまくプロレスに昇華できてなかったり、指原さんに「この2人でプロレスをやろうとしていること」が上手く伝わってないためにちょっと空回りしちゃった印象。やっぱりHKT48の司令塔である指原さんに意図が伝わらないと苦しい展開になってしまいますよね。詳しくは後編の感想にて。今村さんの「花屋の娘」感に救われた形になったかと。

 

指原さんの「付き合う男の3大条件」の話が、オリエンタルラジオのPERFECTHUMANこと中田さんの嫁であるところの福田萌さんとそっくり。っていうか、もう話の内容が生々しすぎてもはやアイドルの領域はとうに超えてて凄まじいっていうところで今回のおでかけ感想終了。後編に続く。

 

(2016.04.21放送 HKT48おでかけ! #162)

雅やかな群青と泡沫な少女の ―泡沫サタデーナイト!(モーニング娘。'16)への恋文―

泡沫サタデーナイト! / モーニング娘。'16


モーニング娘。'16『泡沫サタデーナイト!』(Morning Musume。'16[Ephemeral Saturday Night]) (Promotion Edit)

 

モーニング娘。について、ハロプロについて書くのはいつぶりだろうか。ブログを遡れば、6年前。「あの頃の」スマイレージについて書いていた。娘。については、もう8年も前のこと。スマイレージはアンジュルムになりモーニング娘。はモーニングムスメワンフォーになりワンファイブになりモーニング娘。'16となっていた。

 

行く末。彼女達の行く末を観ていたいと、あの頃思っていた。たぶん。書かなかったことと観ていないということは同義ではなくて。アンジュルムの大器晩成は狂ったように聴きこんでいたし、℃-uteのイベントでは鈴木愛理さんにメッセージが読まれて天にも昇るような気持ちになっていたし。つんく♂さんがああいうことになって。それでも、それでもっていう生き様に感動して。

 

今年になって改めて過去のブログを読み返して感じたのは、そこにある熱。何か文章のそこかしこからじんわりと伝わってくる感情と感傷。熱気を帯びた「オタ」という存在になりたくて、ある意味でオタというテーゼを自らに落とし込むかのように、落とし込みたくて書いていたんだと思います。アイドルと「恋愛」をしているファンの方々が羨ましくって眩しくて、憧れを持ってそうなろうとしていた、そんな感覚。今年6年ぶりにこのブログを更新し始めたのは、自分の中にある(あるいはあった)記憶と感情に対する自己肯定感だったように思う。自己の未熟さと稚拙さに起因する瑞々しさに対する承認欲求を、数年後の自分が自分で満たしていくという生産性のない作業を、今も続けている。

 

だから、自分の中ではこの「ハロプロ」カテゴリで何かを書くということは熱量がいることであって。20代前半のあの頃の熱量と感覚と感性で持ってメディアと触れていかなければ、とてもじゃないけど。こんな誰も読んでいないブログであったとしても、あるいはだからこそ、熱から覚めたような、軽々しい「何か」を表現する気にはなれなかった。

 

でも。それでも。モーニング娘。はそこに在って。在り続けて。継承と発展を繰り返し、今だっていつだって最高のアイドルグループとしてそこにいてくれて。「あの頃」のアイドルたちは、娘。達は、もう既にアイドルではなくなっているかもしれないし、ファンの中ではアイドルであり続けているかもしれないし、ファンの中で、メディアの中で、記憶の中で「あの頃のまま」生き続けているかもしれない。けど。

 

けど、それでもモーニング娘。は現在進行形であり続ける。あり続けている。その意味、その意義、その価値。

 

それはもう、人生と等しいんだろうと思う。娘。という存在自体がもはや1つの概念であり現象であり生命体として永遠性を帯び始めているんじゃないか。その永遠性のなかにある別れの匂いと(アイドルとしての)死の香り。色んな人の想いと関係性と過去と未来と現在の連鎖の中で、それはきっと「生きている」。

 

何が書きたかったのかといえば、泡沫サタデーナイト!が、「あの頃の娘。」を「今の最高な娘。」が表現してるファンキーでファッキンクールな楽曲だっていうことです。このブログを書いているのは日曜日の早朝4時18分だけど、それでもまだきっとサタデーナイト。心して買え。