それにはあまり意味がない

自由に生きて、強く死ぬ。

When did you change? Wendy you've aged.

「活動休止」という言葉の響きは、ひどく曖昧だ。ただ、曖昧が故に生じるほんの少しの意味の空白が、「終わり」の痛みの感覚を鈍くさせてくれたりもする。それが一時の鎮痛剤でしかないとわかっていても、今はその空白に身を委ねて揺蕩っている。

 

ユレルランドスケープは「終わり」の気配が付き纏うアイドルだった。アイドルという存在自体にある種の「儚さ」を内包しているのは、この20年アイドルというものを見続けてきて理解している。けれども、彼女達が持つ「終わり」の匂いは、他と違っているように感じていて。切迫感や焦燥感、執着や怨念が滲む異質なステージからは、今までみてきたアイドル達のような「最期」(美しさと切なさと悲しみと儚さが同居する桜が舞い散っていくかのような)は想像できなかった。想像したくなかった、ということでもある。それが私なりの思い入れの強さの現れでもあったのかもしれない。彼女達の生きづらさが少しでも昇華され、報われ、仄かな幸せを持って最期を迎えられるような活動を願っていた。

 

「ユレルランドスケープ、活動休止」

 

その報せを目にした瞬間、初めて彼女達の「最期」を想像した。あの4人は、仄かで、だからこそ確かな幸せを持って最後のステージに立っているだろうか。確かに、パレードは続いていく。アイドルとしての死を迎えても、あの4人の人生は続いていく。それでも「4人の」パレードは終わってしまう。アイドルとしての歩みを止めてしまう。私達のパレードとともに、それは終わってしまう。アイドルの終わりはいつだって、私の前に突然、そして呆気なく現れる。そして、それを受け止める私はいつだって無力だ。何年経っても変わらずに、無力で居続けている。

 

悔しいなぁ、という感情がある。

自分は無力だからこそ、過去に対する後悔はない。ただ、彼女達の未来を信じていたからこそ、その未来が閉じてしまったこと、行く末を見届けられなかったことへの悔しさだけがここに積み重なっていく。パレードに取り残されていった感情がここに残り続けていく。

 

2021年8月15日

揺城ひめりと小野町子と未明ひかると空蝉さなのユレルランドスケープが終わる。

 


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(Turn it around
I remember when
This age of pathetics)
Don't forget the happy thoughts
All you need is happy thoughts
The past tense, past bed time
Way back then when everything we read was real
And everything we said rhymed
Wide eyed kids being kids
Why did you stop?
What did you do to your hair?
Where did you go to end up right back here?
When did you start to forget how to fly?

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