それにはあまり意味がない

自由に生きて、強く死ぬ。

モーニング娘。「旅立つ人」に贈る唄

 

プロってすごいよね。何の分野においてもそうだと思うけど、やっぱりプロって呼ばれてる人達にはそれ相応の才能というものが備わっているもので。加護さん辻さんや藤本さんのニュースを聞いて、個人的にいろんな事を感じて考えたんだけども、それをなかなか上手く表現できなくて。表現がまわりくどかったり、言葉が足りなかったり。まぁ、それはあくまで自分の中だけでの話しなんだけど。そんな中、頭ん中に真っ先に思い浮かんできた曲があって、それを何十回も繰り返して聞いていくうちに、もう僕の言いたかった事がそのまま歌われてるんじゃねぇのっていうくらい現状にピッタリ来る楽曲だったので、それを紹介しちゃえばもうそれはそれでええやん的な感じなんじゃねぇかという事で今回は書いていきます。それをもって彼女達やファン達へのレクイエム(といったら表現が悪いかもしれないけど)として捧げてみたいし、「アイドルとファンとの関係性」という各所で議論がなされているテーマへの、何がしかの手がかりになればいいなぁと思いつつ。



THE YELLOW MONKEY/プライマル。


歌詞

http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=65993



一応、せっかくご紹介したのですからこの曲の持つ背景を説明しておきます。このシングルが発売された時にはもうイエモンは活動を休止していて、実質的にはこれがTHE YELLOW MONKEYの送り出した最後の楽曲といっても差し支えありません。いわば「吉井和哉」がTHE YELLOW MONKEYを旅立つ、卒業する際の想いを込めた楽曲だともいえるでしょう。彼は非常にセンシティブな面を持っているので、「イエモン吉井和哉」であり「ボーカルのロビン(吉井さんの愛称)」という自己像を楽しんで演じていたところもあれば、その枠組みに囚われていたところもあったみたいで。「THE YELLOW MONKEYのロビン」と「吉井和哉」との間にあったギャップや矛盾に苦しんで、ついにはバンドを解散するに至ってしまった訳です。後に彼がソロデビューした際に、名前を「YOSHII LOVINSON」としたのはその象徴であったように思います(それがパロディだとは言ってるけども)。


そんな彼が、イエモンを、今までの吉井和哉を一度捨て去ろうとして作ったのがこの「プライマル。」で。「今まで」と「これから」を否定も肯定もせず、バンドのメンバーや自分自身、そしてファンへの気持ちだったり、その時感じていた事をそのまま書いてるんじゃなぁかなぁと妄想させられる様な。ラストナンバーだとは思えないくらい爽やかな、柔らかで刺々しいところがない、だからこそ「解散」という現実がひしひしと感じられる、そんな曲なのです。



では内緒 あなたよりも好きな人が他にいるから



VERY GOOD だいぶイケそうだ 振り切ったら飛べそうじゃん

今度は何を食べようか?

卒業おめでとう ブラブラブラブラ

紅塗った君がなんか 大人のように笑うんだ

悪いから ずっと見とれてた


加護さん。いっつもマセてた加護さん。いっつもみんなより一足先に大人になってった加護さん。でも、本当は、ただの子供だった。みんなそんな事本当は知っていたけれど、知らないフリをして、ずっと見とれてたんだ。そんな「目線」を振り切って、彼女は旅立ってった。彼女はフッと僕らの目の前から姿を消して、色んなめんどうくせぇ事を振り切って振り切って飛んでって、そう、テルマ&ルイーズみたいにさ。



VERY GOOD だいぶイケそうだ キツかったら脱ぎゃいいじゃん

今度は何を着てみようか

卒業おめでとう ブラブラブラブラ

紅塗った君がなんか 大人のようにまとうんだ

似合うけど ちょっとムリあった



辻さん。最後の最後まで豪快やったなぁ辻さん。天衣無縫とはこのことなのれす。意味もわからず使ってるけど。辻さんはそうだな、でもそれでも、そんなにキツそうな顔は見せなかったんだよ。正直ね、昔のインタビューでは端々からかなりプライベートで嫌な目にあってるんだろうなぁというのが伝わってきていたんだけど、それでも頑張り通してきたもんね。加護さんが抱えきれなくて処理できなかった「お子様」キャラを何とか使いこなしていこうとしてたし、実際、それが上手くいきかけてたところで、全部脱いじゃったんだよね。やっぱりもう、子供用の服は小さすぎたのかな。でもこれからは、マタニティドレスを着れるから。いくらでも好きなものが食べられるから。マタニティの時期が過ぎたら、またアイドルの服だって、それから希む服は何だって着られるはずだから。


でも、やっぱり、あの人の横で左手の薬指を照れくさそうにカメラの前に向けている姿は、ちょっとムリあった。あと「避妊は考えなかったんですか?」とかぬかしてたバカは死ねばいいのれす。仕事トバして怒られるのは仕方ないけど、この質問はまた別次元。



VERY GOOD だいぶイケそうだ 旅立ったら消せそうじゃん

今度は何を歌おうか?

卒業おめでとう ブラブラブラブラ

手を振った君がなんか 大人になってしまうんだ

さようなら きっと好きだった



藤本さん。道重さんの言うとおり「自由すぎる」よね、藤本さん。でも、僕は、本当に本当に藤本さん率いるモーニング娘。が見たかったんですよ。今まであったものをぶっ壊して、もう一度新しい何かが見られるんじゃないかと生まれるんじゃないかと、そういう事を藤本さんならやってくれるんじゃねぇかと、すごい期待してたんですよ。それに「藤本美貴」という存在なら、ああいうキャラの作り方なら、なんだろうな、いわゆるアイドル然とした「恋愛スキャンダル」的なものを全部吹き飛ばしてくれるというか、そういうところも傍若無人に振舞ってくれるんじゃないかと、そんな風にも思っていたんです。実際は、「現実」に負けてしまった訳ですけど。


たぶん、加入当初は「卒業」すれば全部消し去れると思ってたはずなんです。今までソロでやってきて、急にユニットに押し込められて、意に沿わないことをやらされて。でも、それから長い時間が過ぎて、彼女は彼女なりに娘。というものに適合していって、なくてはならない存在になっていって、ようやく「彼女なりの」モーニング娘。というものが具現化されるという時に、その線がプツリと切れてしまって。それでも「今度は何を歌おうか」と、そういう状況でさえあれば、彼女は大丈夫なはずなんだ。それくらい強い「大人の」女性なはずだから。だからこそ怖いのは、「歌えない」事。矢口さんのように、歌を奪われる事。彼女達はステージで輝いてきた人だし、その姿に僕らは恋をしてきたはずだから、だからその場を奪われてしまうと非常に辛い状況に陥ってしまう。


モーニング娘。藤本美貴」にさようなら、そして、「藤本美貴」にこんにちは。先々の事は何もわからないけれど、一つだけ確かな事は、ファンも藤本さんも「きっと」モーニング娘。が、モーニング娘。藤本美貴が好きだった。



ありがとう 絆と先々の長い願い

花柄の気分もまた 一日のうち たった6秒


一人のアイドルを好きになって熱狂して、「恋愛」していられる時間というのは、ひょっとすると永く続くものではないのかもしれない。それは「一瞬」と表現すべき、非常に短い時なのかもしれない。でもそれでも、その一瞬に芽生えた感情はリアルで大切なもの、自分だけのオリジナルなはずだろ? それは幻じゃない。絆と呼ぶには照れくさいものだけど、そこに何らかの「繋がり」はあって、彼女達が「アイドル」でなくなったとしても、もしくはなくなってしまう時がいつか来ると知っていても、彼女らが幸せであって欲しいと僕らは願う訳じゃない。その「幸せ」が、もしかしたら僕らの前で歌い続ける事(恋人や結婚や子供を持ったとしても)だったら、それはすごくハッピーな事だと思うんだ。生声で、大きな声で、二回も叫ぶんだよ「HAPPY」って。それを見ている僕らは幸せじゃない、だったらそれでいいじゃない。だからもし僕らの目の前から旅立ってしまう時が来たとしても、そんな彼女らに贈る言葉は「ありがとう」と、その一言を、その気持ちを。



あがり目とさがり目のモヤモヤを束ねいて

残さずに捨てる事は 抱えるより それよりもねえ?


愛とか強調すると顔が変になるよ


君の名はこの僕に何を残したい

思い出は重荷になると言う



それでも、キレイゴトばっかり言っててもしょうがないしね。変に抱えてしまうより、一回思い切って捨ててしまった方がいい事もあるのかもしれない。「あいぼん」なんて重荷だったら捨てちゃえばよかったんだ。あんな事になるんなら「加護亜依」でよかったじゃないか。アイドルだアーティストだファンとの関係性だ、そんなん面倒くさいなら全部捨てちゃえばいいんだよ。「カワイイから好きです」「顔が好きです」「歌が好きです」「声が好きです」って、そういう風に言い切っちゃえ。それだけでいいじゃん、何にも恥ずかしくねぇってば。その方がイロイロと楽だから。後付の理由はいつかボロが出るんだ。



手を振った君がなんか 大人になってしまうんだ



そういう彼女達を見て、大人になっていく彼女達に何を言う「べき」かなんて、実際問題どうでもいいんだよねきっと。何言ったっていいんだよね。「彼女」が僕らに何を残すかなんて、それこそ僕らの中にはそれぞれの「彼女」がいて、「彼女」に求めている事も違うしもらっているモノも違うんだから。僕らは彼女らの事を「きっと」好きだったはずだし、その感情はどんな事があっても否定しなくていいことで。さよならを強制的に言わなければならない時には(℃-uteのあの娘の時みたく)、それは過去形じゃなくたっていいし、「ずっと」好きでいていいんだと思うし。


そこで信じたいのは、きっと彼女らだって僕らとは形も質も違うんだろうけど、違って当然でそれでいいんだけど、「きっと」好きだった、好きでいてくれたという事。それはモーニング娘。かもしれないしアイドルかもしれないし歌かもしれないしダンスかもしれないしライブかもしれないしライブの空間に一緒にいた僕らも含まれているかもしれないし。それは信じたいじゃん。それを信じるから、僕らは彼女らを好きでいられるんでしょ。最後まで吉井さんの言葉を借りるなら「I'M JUST A DREAMER. ARE YOU A BELIEVER?」って事ですきっと。



さようなら きっと好きだった



ARE YOU A BELIEVER?