それにはあまり意味がない

自由に生きて、強く死ぬ。

都会っ子 純情/℃-ute


CDが廻りだすと共に、矢島さんがガチでクソ恥ずかしいつんくワードを朗読させられているというMの極地を体感できるユーロ歌謡曲。一時期Berryz工房は「空間」℃-uteは「時間」だとかいう内容のテキストが出回っていたけれども、そういう概念的なことではなくて、この曲には今後のハロプロを占う上で、より明確な意志を感じるのだ。のだ、て。個人的にはモーニング娘。の「女に 幸あれ」って結構好きだったんだけど、あれって演歌のメロディーをユーロビートに一週間漬け込んでみました的なユーロ演歌だったじゃないですか。恐らく回転数をスローにしたら演歌にしか聴こえないはず。で、歌詞としても


許してやるなんて バカねバカねバカね

どうして取られちゃうのバカね


だの


ああ いつかは 幸せが来るわ そうじゃなけりゃ 不公平すぎる

ああどこかで 待っててください 女に幸あれ 朝陽よ昇れ


だのね。石川さゆりかと。そっちのさゆかと。ほくろもあるんかと。思うじゃないですかまぁ思わないけど。とにもかくにも今回の都会っ子 純情っていうのはそんな流れを組んだ、正統後継曲だと思うのです、という事が言いたかった。それはもちろん曲調としてもそうだし、歌詞をみてもそれが感じられて。


素直に本心を話すなんて 女の子からできないかもしれない

でもね 私 子供じゃない

一挙一動 あなたの全てが 愛しい

言葉にそっと意味を忍ばせた


一挙一動だの忍ばせただのてもう阿久悠とかどう若く見積もっても荒井由実のまちぶせばりの世界観じゃないですか。



歩いてみても ヒント出してる はしたない子じゃないんだよ

視線を逸らし、緊張ほどいた いざとなったら震えるわ


とか中学生に歌わせる歌じゃねねぇし。なに震えるって。なにはしたないって、誰がはしたないっていうんだ、岩盤か、岩盤が悪いのか、それとも道端で彼氏と歩いてる写真撮られて(以下自粛)


秋は夜が長くて でもね でもね だけど

心を透視して覗きたい

我慢できそうにない 痛みに耐えて

我侭なんて言わないわ


良いんだよ! 萩原さんはまだワガママ言っていい歳なんだよ!!


夢を見てる 呼吸してる 食事してる あなたがいる


辺りはかなり℃-uteっぽいし、4~5期娘。のニュアンスすら感じさせるんだけども、一転して


たとえこの地球に裏切られても 迷惑なんてかけないわ


では、突然話が「地球」規模になるっていう往年のつんく節と、「迷惑」なんてかけないっていう女の情念的な歌謡曲の雰囲気がMixされたすごい事に。等身大の女の子の目線と宇宙規模のストーリーとが交錯する、例えば恋愛レボリューション21なりザ☆ピース!なんていうのは典型的だったけれども、そんな世界観を彼女達に受け継がせてきてるなという感覚があるんです。「あの頃の」娘。的なものの伝承ですね。℃-uteのJUMPなんて


ご近所の おじいちゃん達に

いろんな事を教わりたい


この地球にルールがあり だからこそ慈しみあう

悲しみ 微笑み 未来へ語り伝えたい

この地球に涙があり だからこそ優しくなれる

何にも変え難い 生命の神秘の中に


まさにあの頃の娘。が発信していたメッセージそのものじゃないですか。その上で


未来はいつもここにある


と、俗に「黄金期」とも言われた頃のモーニング娘。の「未来」はここにあるという宣言がなされるわけですよ。「未来の希望が託され」てるんです。そんな事を書いてたらかなり都会っ子純情から話題がずれましたけれども、はぐれ刑事純情派ですけれども、とにかく娘。→℃-uteの流れが感じられると。一方のBerryz工房はといえば、「告白の噴水広場」なのです。これもまた歌謡曲チックな楽曲で。でも、でもなんです。そこをひねらない。ド直球の歌謡曲をぶつけてくるんです。笑っちゃおうよBOYFRIENDもドゥーワップ丸出しだったし。あえてひねってないんです、何故ならベリは娘。ではないから。歌詞をどうひっくり返しても「地球」も「宇宙」も「歴史」も出てきません。さらに挙げれば「VERY BEAUTY」と「女に 幸あれ」では共通して「女」をモチーフに楽曲が作られている訳ですが、娘。が「女に幸あれ 朝陽よ昇れ」と全女性へ向けたメッセージソングであるのに対し、ベリは「ステキな女性になりたくて」毎日元気に生きてゆく女の子の姿を歌っています。最終的にはそんな姿が魅力的な「女」であるというメッセージに繋がるわけですが、その立ち位置は明確に違っています。


僕の唯一神であるところのつんく都会っ子純情について


℃-uteが歌う今回のシングル曲は、そんな恋の低年齢化が叫ばれる昨今とは真逆の

純愛を信じて一途な恋に生きる女の子の心を歌った曲といたしました。


とかぬかしてます。大好き。で、ここで重要なのは「そんな恋の低年齢化が叫ばれる」の「そんな」とは何を指しているか、で。もちろん文脈としては前文の


情報化社会の中で生きる都会の女の子。

実は、そんな都会に住む女の子たちのあり方って、

ちょっと昔とはだいぶ変わってきているように思う。

びっくりするほど、大人化しちゃっているタイプと、

見た目に関係なく、とっても無垢なタイプ。

この二つが極端な二極化してきているのではないだろうか。


に繋がっていて、その中でも特に「びっくりするほど、大人化しちゃっているタイプ」が「そんな」の指してる内容ですよね。結論からいうと、これってまさに「Berryz工房」のことじゃないですか。もっと言葉を足せば「Berryz工房の楽曲で歌われてきたオンナノコ」の事で。「あなたなしでは生きてゆけない」だの「恋の呪縛」だの言っちゃうような、そんな女の子達。「告白の噴水広場」に関してのつんくコメント


女の子のほうが強くなってきているといわれている昨今ですが、

でも、女の子だって、そう簡単に強くなったわけではないぞ!といった、

普段、Berryz工房メンバーが健気に努力している姿を思い浮かべながら、

感じたことを歌詞にしてみました。


つまり「びっくりするほど、大人化しちゃっているタイプ」の内面を歌った楽曲を提供しているんですよね。さらに胸騒ぎスカーレットに対するつんくの言葉を引用すると


テーマカラーは「スカーレット」なんとも奥深い紅色をイメージして作りました。

恋心も意思もいままでのものよりも鮮明でかつ濃いのではないのでしょうか?


何故、今までの楽曲より「恋心」も「意思」も鮮明で濃くしなければならなかったのか。それはもう言うまでもなく℃-uteの存在があるからです。℃-uteBerryz工房は表裏一体でなくてはならない。そこから、娘。から℃-uteという「歴史」と、それとは一線を画すベリの「物語」が浮き上がってくるのです。まさに℃-uteとはハロプロの歴史ともいうべき「時間」を意識させるグループなのであり、また、そんな歴史に寄り添いながら独自の物語を築いてきたBerryz工房には、そこに在り続けたという事実、つまり存在という「空間」の概念が当てはまるということもいえるのではないでしょうか。


とりあえず最終的に『Berryz工房は「空間」℃-uteは「時間」だとかいう内容のテキスト』にしないとオチないのでムリクリ言葉遊びならぬ言葉自慰をしてみました。そんな言葉よりもなによりも今回の都会っ子 純情のPVにおける有原さんの表情(1:27)と矢島さんの後姿(4:00)にはとんでもない説得力があり、またみんなで歌を口ずさみながら倉庫をすり抜けて埠頭を歩いている、たったそれだけの映像にこの世の喜びとか幸せだとか生きるという力みたいなものが全て詰まっているのでとりあえず買え。こんな日記を読んでる暇があったら家を飛び出していって買ったらいいさ。℃-uteは「時間」とかそういうのは置いといて、少なくとも℃-uteは「今」だと思います。