それにはあまり意味がない

自由に生きて、強く死ぬ。

岡崎京子 「秋の日は釣瓶落とし」「セカンドバージン」


セカンドバージン (アクションコミックス)秋の日は釣瓶落とし (アクションコミックス)


世の中には天才だと評される人が数多くいて、テレビの中では日々「天才」が生まれては消え、作り出されては捨てられてゆきます。でもやっぱり岡崎京子は天才だと言わざるを得ない。っていうかね、好きなの彼女の漫画。今更ながらに彼女の作品群を褒め称えるのも野暮ったいし気恥ずかしい気がするし、何より一から書き始めちゃったらそれはもう恐ろしいくらいに長文になってしまいそうで怖いのです。


でも彼女の魅力を少しでもここに書き殴るとすれば、ディスコミュニケーションの描き方とそこに起因する絶望への視点、そしてその処方箋の素晴らしさなんだと思います。僕らや彼女達の日常がそこにあって、それはあたかも御伽噺の様に美しく穏やかに過ぎていっているように見えるんだけれども、本当はみんな孤独で、繋がりたくて、でもトモダチとも恋人とも男ともオンナノコとも両親とも父とも母とも学校ともシャカイとも繋がれなくて。みんながみんな流行りモノで繋がってる様な気になって、他人との繋がり方がわからないからレンアイだとかセックスだとか見様見真似でやってみて、やってはみるんだけれど、結局孤独で。その一つ一つはほんの小さな、けれども底の深い断絶がいくつも連なっていって、物語のクライマックスに大きな絶望が訪れてしまう。彼女の代表作でもある「リバーズ・エッジ」はこの連鎖が見事に描かれている傑作ですよね。彼女の世の中への視点ってものすっっっごく好きなんです。世の中みんな私だけは関係ないみたいな顔しながら不幸を横目に素通りして、そのくせ他人の目線だけは気にして生きてて。ざけんじゃねぇよいいかげんにしろ、ざまぁみろって、そーゆー感じ。でも、彼女は決して負のメッセージのみを残す作家ではありません。むしろ、そういう世の中に溢れた絶望や諦念みたいなものと上手く付き合っていく、そういう処方箋だったり生き方みたいなものをポップでキュートに僕らに提示してくれる、そんな稀有な才能を持った作家さんなんじゃないのかなと。


今回の二作品もそういった魅力が再確認できる仕上がりとなっておりまして、特に「秋の日は釣瓶落とし」は出色のデキ。オカザキ的漫画の雛形というか、岡崎作品によく見られるキーワードや登場人物、物語の構成だったり展開の基本形の様なストーリーが見て取れて興味深く。こういう短編をしっかり読ませるっていうのは、ストーリーテリングの力がないと出来ない事ですし、岡崎京子の魅力がぎゅっと濃縮された作品なのです。また、「セカンドバージン」の方はこれまたオカザキ的な「ユルさ」「家族像」「オンナノコ像」「POPさ」が溢れていて、色んな所にとっちらかっちゃって一人歩きしてく面白さをかき集めていくような、そんな楽しさがあります。岡崎さんの漫画には全体的にあんまりカッチリした印象がないので、むしろこっちの方が本来岡崎さんが持ってる特徴なのかもしれません。両方ともラストの余韻が物悲しくもありそれでいてポジティブなニュアンスも感じさせる絶妙なものなので、これは是非読んでみて確認してみてくださいませませ。